年商5億円の老舗旅館はコンセプト開発で再生せよ!

創業100年を迎えた地方の温泉街にある老舗旅館は、文豪も毎年逗留したほどの趣のある風情を湛えていますが、毎年売上が前年割れして赤字転落も目の前に迫っていました。経営者は自社の経営資源からくる強みを前面に押し出した事業コンセプトに従って事業展開していましたが、その事業コンセプトが間違っていたとしたら・‥   

・現状分析

歴史を感じさせるものの手入れが行き届いた設えが目を引く気持ちの良い木造二階建ての空間を体感すると、業績が悪化している旅館に到底見えないというのが、初めて訪問した時の私の正直な感想でした。
5代目当主の経営者はまだ40代前半と若く、お客様には当館で日ごろの疲れを癒してもらって、リフレッシュした気持ちでまた日常生活を頑張って頂きたい、と心底思っていらっしゃる熱量の高い経営者でした。

旅館のコンセプトを「おかりなさい」と定め、そのコンセプトに沿うように様々な具体的な取り組みがなされていました。第二の自分の家に戻ってきたように、心身ともに寛いで頂きたいという経営者の想いが伝わってくるコンセプトです。
料理は山の中にたたずむ温泉らしく、山の山菜や川魚を中心に季節によっては猪鍋を提供することもあり、近所の猟師さんが鹿を仕留めた時には、新鮮な鹿肉のステーキが夕食を彩ります。
室内は毎日キレイに清掃され、館内の隅々まで清潔に保たれており、仲居さんたちサービススタッフは極力お客様の目につかないようにその存在を消し去っているかのように振舞っておられて、温泉に入るために館内スリッパを入口に脱いでおくと、出る時にはキレイに揃えてあったり、こちらの行動を陰ながら観察しつつサービスをしているようです。
その温泉も何とも言えない雰囲気の中で源泉かけ流しの柔らかいお湯を堪能でき、温泉から出てしばらくすると睡魔が襲ってくることからすると、効能が非常に高い温泉のようです。
部屋によっては室内に露天風呂を備えている部屋も少なからずありました。
文豪が逗留した離れのお部屋も歴史を感じさせる名建築で、縁側に立つと聞こえてくる清流の音に心まで洗われるようです。

さて、売上はここ5年程漸次減少傾向にあり、毎年複数回来られていた年配のご夫婦のお客様が毎年減少しているようで、エージェント経由のお客様が全体の8割を占め、2割を自社ウェブサイトからの予約されたお客様でした。
エージェント経由のお客様のうちインバウンドの外国人も増加しつつあり、外国人インバウンドのお客様は全体の2割ほどを占めるようになっていました。
若い経営者は、増加しつつあるインバウンドのお客様はほぼすべてが1回客でありリピートして頂けるわけではないし、昔流行った鳥インフルエンザなどのウイルス性の感染病が蔓延する可能性も再びないとは言えないので、どんどん減りつつある国内のリピーター客を増やしたいと思っているとのことでした。

ウェブサイトもキレイに制作されていて、近隣の自然の景色を映した写真を多く取り入れており、「おかえりなさい」のコンセプトに沿うようなコンテンツをしっかりと作り込まれ、一見すると何ら問題がないように見えました。
Webサイト上では、露天風呂を設置している客室の案内書きには、「露天風呂付客室 12畳 山側」と書かれており、お料理の内容、温泉の効能等が詳細に記載されています。文豪が逗留した離れのお部屋の案内書きには、「文豪〇〇が毎年逗留した離れの客室 12畳X8畳」と書かれています。その他のお部屋にも案内書きが書かれていますが、果たしてこれでお客様がこのお部屋に泊まってみたいと思うかどうかは疑問に思いました。

・環境分析

この再生案件は、経営者が懸念していたウイルス性の感染病であるコロナ・ウイルスが蔓延する前の話なのですが、彼が懸念した通り、コロナ禍による外国人インバウンド客はほぼゼロになりましたので、その数年前に国内客の確保の打ち手を講じておいた結果、インバウンド客の減少の影響は随分と緩和されたようです。

全国的に温泉地の宿泊施設数は経営難の施設の廃業等を理由に減少傾向にありますが、温泉利用者数は平成23年に底を打ってから増加に転じ、年間1億3千万人以上の人が温泉を利用しています。
健康に対する意識の高まり、世の中に働きすぎに対する風当たりの強さや週休3日制への移行の議論の活発化、国を挙げての2拠点生活の推進等々、温泉利用の機会がますます増加するであろうことは容易に推察できます。

温泉旅館の業界においては、独自性を保つことがなかなか困難なようです。
バブル期には風情も何もない鉄筋コンクリート造りの大箱の宿泊施設を建てることが流行りましたが、1つの温泉地でどこかがそれを実施すれば地域内の他の同業者も大きな借金を抱えて大箱を建設し、地方の温泉街は大箱の建物ばかりになりました。その後遺症で未だに大箱での営業を余儀なくされている業者も少なからず存在します。
ある業者が部屋に露天風呂を設置すれば、他の同業者もすぐに室内に露天風呂を設置します。高齢者が宿泊しやすいようにと客室をベッド付きの洋室に改装する業者が現れれば、他の業者もそれにすぐに追随します。ベッドをヘブンリー・ベッドに変えれば、他の業者はすぐに真似します。
その結果、同じような設備を持った温泉旅館が数多く日本国内に出来上がるわけです。どれも似たような施設ですから、我々生活者はどれも同じに見えて、温泉旅行に出かけようとしてもお宿を選択することができなくなります。
温泉旅館カテゴリーには架空の「代表的な温泉旅館」というものが我々の頭の中に合って、その代表的温泉旅館に重なるように多くの温泉旅館が現実世界に存在しているのです。このカテゴリーを少々外すようなコンセプトを持たないと独自性を持つことはとても困難な業界なのです。

・論点(イシュー)は何か?

さて、この再生案件の大論点(解決するべき問題)は「売上が減少していること」ですが、その第1階層の原因である論点(イシュー)は何でしょうか。
業界をあげて推進している設備競争で遅れている部分を投資によってカバーすることでしょうか。
この再生案件では、昔からのリピーター顧客が減少していることは確かですが、言い換えれば新規顧客を十分に確保できていないことが売上減少の大きな原因なのです。
したがって設定するべき論点(イシュー)は、「新規顧客が少ないのはなぜか?」になります。

・設定課題は何か?具体策は何か?

設定するべき論点(イシュー)は、「新規客が少ないのはなぜか?」になりますが、さらにその原因を深ぼっていくと、原因仮説はたくさん考えられます。たとえば、建物が古臭いとか、料理が精進料理っぽいとか、サービスの顔が見えなくてホスピタリティが足りないとか、はたまた、エージェントとの関係が希薄であるなどです。
しかしながら、こういったことは真因にはなり得ないだろうと考えて、論点に対する真因をWebサイトの集客力が弱いことであろうと仮説立てしました。
したがって、設定するべき課題は「Webサイトの集客力を高める」ということになります。

そして、その課題に対する具体的な対策の1つが、Webサイトのコンテンツの見直しになりました。

旅館全体のコンセプトが「おかえりなさい」であったとしても、そのコンセプトをそのままウェブサイトで訴求しても具体性がないのでお客様には伝わらない結果、集客には結びついていないのです。
先ほど例示したように、露天風呂を設置している客室の案内書きには、「露天風呂付客室 12畳 山側」と書かれ、文豪が逗留した離れのお部屋の案内書きには、「文豪〇〇が毎年逗留した離れの客室 12畳X8畳」と書かれ、その他のお部屋にも案内書きが書かれていますが、温泉旅館の場合には単なるFact(事実)を伝えるだけではお客様は動きようがないのです。

たとえば、「露天風呂付客室」を選択して宿泊することでどのようなメリットやベネフィットがあるのかを具体的に記載してあげないと、お客様は自分ゴト化できませんので、Web上で選択される確率が上がってきません。

露天風呂に泊まりたいと思う文脈を考えてみると、「彼女と2人きりで露天風呂を満喫したい」、「夫婦水入らずで過ごしたい」、「赤ちゃんがいるので大浴場は使いにくく、部屋の露天風呂は嬉しい」、「足が悪いので大浴場まで歩いて行きたくない」など、これら以外にも客室内露天風呂を使いたい文脈はたくさん思いつくことができ、各々の文脈においてどんな気持ちでいるのか(インサイトは何何か?)も想像することができます。

同じタイプの客室露天風呂でも、こういった様々な文脈で利用意向があると考えられますから、同じタイプの客室を同じコピーで販売するのではなく、部屋ごとに文脈ごとに切り分けて販売すれば、各々の文脈に置かれた様々な人が選択可能となって、販売できる確率は上がるものと考えました。
今までは、同じタイプのお部屋は全て、「露天風呂付客室 12畳 山側」とだけ記載されていますから、売り方としては二重にもったいなかったわけです。

このように同じタイプの客室でもコピーを変えることによって客室の提供価値を変え、様々な文脈に存在する多様なターゲットを取り込もうとしました。

「文豪〇〇が毎年逗留した離れの客室 12畳X8畳」については、このお部屋は1つしかありませんので、コピーを変えながら、つまりはこの離れ部屋の提供価値を言葉で変化させながら、どの言葉が最も効果が高いのかを一定期間検証する必要がありました。
面白いことに、「有名な文豪が逗留した」という言葉には反応が非常に薄かったのです。
最も反応率の高い言葉は何だと思いますか。皆さんも想像してみてください。
以上のような形で同じ客質であるにも関わらず、言葉による提供価値の変化させながら、検索者である潜在顧客の反応を見つつ、客室ごとのコピーを洗練させていきました。

・債権者(銀行)の対応

客室の提供価値を変えるにあたって、基本的には言葉の力だけで売上を上げることを企図しましたが、客室によっては若干の投資を必要とするものもありましたので、その投資分をメイン銀行に新規借入にてご対応いただけました。
売上増加の計算ロジックを精緻に経営改善計画書に記載していましたので、売上増加に対して納得性が高かったようで、行内の稟議も通りやすかったようです。

・事業再生プログラム実行の結果

このようなWebサイトのコンテンツの見直しによって、また、新たに始めたSNS運用による認知の拡大も相まって、露天風呂付客室の稼働率は翌月には1.5倍近くに、数カ月後には満室に近い状態が続くことになり、また、文豪が愛した離れの客室の稼働率は4倍近くにまで好転しました。
目標だった国内顧客の新規顧客は大きく伸び始め、またその中から毎年訪問してくださるリピーター様も徐々に増え始めた結果、売上は前年を大きく超えることになり、その後も経営は順調に推移しているようです。

・まとめ

事業コンセプトを明確に言語化することは、具体的な施策の方向性を明確化する上でとても大切です。
温泉旅館においても旅館全体のコンセプトを言語化しておくことはとても大切なのですが、コンセプトは抽象度が高い言葉なので、実際に集客するにあたっては、そのコンセプトの抽象度を下げて具体化する必要があります。
具体的な言葉でないと、お客様は自分ゴト化できないので、「あ、これは私のための商品だわ!」と思って行動(購入)することができないのです。

この再生案件では、温泉旅館自体のコンセプト「おかえりなさい」を変更することはせず、客室ごとのコンセプトを文脈ごとに変えて言語化してターゲット・コピーとし、幅広い文脈におけるインサイトを捉えたことで、売上を大きく回復させることができたのです。